こんにちは、心理カウンセラーのキタダハルキです。
人に頼るのが苦手だった私が気づいたこと
私はイベント準備などをしている時、いつも悩みがちなことがありました。それは、人に何かを尋ねたり、頼ったりすると、なぜかテンションが下がってしまうことです。
例えば、イベントやカウンセリングの面白いアイデアを思いついた瞬間は、ものすごい勢いがあるんです。でも、いざ「募集を始めましょう」とか「PRをしましょう」という話になると、急に気持ちが沈んで、嫌な感じが出てくる、ということが長年続いていました。
この「人に物を聞くのが苦手」という気持ちの根っこには何があるのか、以前は別の原因だと考えていたのですが、同じような状況が何度も起きるうちに、「もしかしたら、もっと違うところに根っこがあるんじゃないか?」と思うようになりました。
期待が裏切られた過去の経験
ある時、この根っこにある原因が、ある話し合いの中で見つかりました。それは、私がカウンセラーとして独立し、本当に生活に困窮していた時期の出来事でした。
一人で何とかしなければならない状況で、ビジネスの相談をしたいと切実に感じていました。どうしていいか分からず、方向性も定まっていなかったので、当時、私よりも実績があると思われる方に相談することにしたのです。
私は、あるコンテンツを学ぶ中で、その方のコンサルティングを受ける権利を得ました。しかし、その時の対応は、私の期待とは大きくかけ離れたものでした。考え方の違いならまだしも、なんと相手の方がコンサルティングの日程を忘れていたのです。しかも、その事実を後になって、その方が発信しているコンテンツの中で知ることになりました。
正直、これはかなり辛かったです。もちろん、正規ルートとは異なる形でコンサルを受ける権利を得たという前提はあります。それでも、相手に何も与えていない状態でコンサルを受けたわけではないのに、ひどく軽く扱われたように感じました。
怒りの奥に隠れていた「悲しさ」
その時、私は「期待を大きく裏切られたことへの怒り」を感じているだけだと思っていました。「格上の人にこんなに怒りを感じるなんて、むしろ画期的な出来事だ」とさえ思っていたほどです。つまり、怒りを感じ、それを表現できたことに満足していたのです。
しかし、その後の話し合いの中で、それだけでは終わっていなかったことに気づきました。怒りの奥には、さらに**「悲しい」という気持ち**が隠されていたのです。
なぜ悲しかったのかというと、コンサルの相手に対して、「現実が変わるような大きな期待」を抱いていたからでした。当時は本当に切羽詰まっていましたし、人に相談するのが得意ではない私が勇気を出して相談したのだから、「間違いなく状況が大きく変わるだろう」と信じていました。
ところが、実際に起きたのは、相手がコンサルの時間を忘れていて、慌てて準備したという事実でした。そのことを知った時、私は大きなショックを受けました。しかし、そのショックを怒りの中に隠してしまっていたのです。「自分が信じてやったのだから」と、相手をかばったり、自分の気持ちをかばったりしがちでした。信頼していた相手が、実はこのような人だったと真っ直ぐ受け止めることができなかったのです。がっかりした気持ちがどこかへ行ってしまっていたのです。
過度な期待がもたらす失望
結局、なぜそこまでがっかりしてしまったのか。相手の態度が芳しくなかったということもありますが、一番の原因は、私自身の「過度な期待」にありました。本当に困っていた私は、「コンサルを受けさえすれば変わる」という気持ちがかなり強かったのです。目の前のことでいっぱいいっぱいで、自分がそのような大きな期待を抱いていることに気づいていませんでした。無意識のうちに、全てを相手に委ねてしまっていたのかもしれません。
実は、コンサルを受けている最中は「なんだかんだ良かったんじゃないか」と、どこかふわふわした感覚でした。目上の人からアドバイスをもらえているという感覚で、「これで良かったのかな」という状態で終わっていたのです。しかし、後になって、相談させていただいた相手がモチベーションが高くなかったことを知ってしまった時、そんな気持ちでやられた仕事に対して、コンサルを受けている最中にふわふわしていた自分が恥ずかしくなったり、腹が立ってしまったりしたのです。
この感情を、私は全て相手のせいにしてしまっていました。「期待していたのにふざけるな」という気持ちが100%を占め、自分が受けた悲しみや、相手を見極めることができなかったことに対する責任意識は全て吹っ飛んでしまっていたのです。
このような感覚だったからこそ、その後、人に頼ったりするシチュエーションが出てきたときに、あの時封印してしまった悲しい気持ちがくすぶり、しかしそれを自覚できないまま、なんとなく抵抗感が出ているという形で、自分の行動にブレーキがかかってしまっていたのです。
期待を手放すことで得られた心の軽さ
では、どうして今、自分が「期待しすぎた」と認められるようになったのか。それは、自分が見誤ったことや、ミスしたことを許せるようになったのが大きいと感じています。
今は、コンサルの時の出来事に関して「そういうこともあるよね」という感じで、自分を責めすぎないようにしています。また、特段、金銭的な損失があったわけでもありません。あのコンテンツ自体に不満があったのならまだしも、私はそのコンテンツを読み込み、課題を消化してきたことで今の自分があると考えています。つまり、損をしたわけではないのに、ずっと「自分が見極められなかった」と責めているのはおかしい、と考えるようになりました。
さらに、相手の方が体調が悪かったのかもしれない、などと、視野が少し開けてくると、それをいつまでも責め続けても仕方がないという気持ちになります。このように、物事に「入れ込みすぎない」大切さを考えるようになりました。
「当たれば儲けもの」の精神
最近特に大事にしているのは、「当たれば儲けもの」という考え方です。
最終的に行動や決断をするのは自分自身であり、相手がどうかという点にばかり重きを置いてしまうと、過度な期待につながります。どんなに優秀な人であっても、過度な期待をすると、どうしてもその期待に沿わない点を探してしまい、「期待外れだった」という思考回路に陥りがちです。
しかし、入れ込みすぎていなければ、気持ちがリラックスできます。結果を出さなければいけないという気持ちにならないので、そのリラックスした気持ちが、むしろ良い結果を生み出し、「思ったより全然いけた!」という感覚につながるのです。これは非常に大事な話だと感じています。
まとめ:心のゆとりがもたらすポジティブな結果
**過度な期待を捨てていくと、心も体も楽になります。**特に、相手のリアクションが芳しくないと感じた時は、どこかで過度な期待をしていないかを少し振り返ってみてほしいのです。いっぱいいっぱいの時は、なかなかそこまで頭が回らないかもしれませんが、期待をしてしまっていたことを認めるのは本当に大切です。
特に、結果が出なかった時、あるいは自分が想定した結果に到達しなかった時(たとえ95%到達していても、100%に届かないとそう感じてしまうことがあります)は、この「当たれば儲けもの」という気持ちをどこかに持ち、心のゆとりを持つ状態が非常に重要です。
もちろん、私自身、あのコンサルを受けた結果自体に関しては、今でも「違うな」と思う部分はありますし、実際にその時の体験が、私のカウンセリングやコンサルティングに対する哲学として、「ああいうことはしないぞ」と思っている部分でもあります。しかし、あれくらいある意味脱力していても大丈夫なんだ、と思えるようになったことで、自分自身も気が楽になったという側面もあります。
YouTube活動での気づき
YouTubeを始めた当初も、最初は「もっと登録者を増やさなければ」と前のめりになったり、一方で「ネタが思いつかない」と行き詰まったりする時期もありました。しかし、今はリラックスして、これまで自分が出してきたコンテンツを改めて見返すことで、「こういう風に話していけばいいんだな」と思えるようになりました。
何よりも、「期待」をして苦しい気持ちが出ている時や、結果が思ったように出ていないと感じる時は、一度「当たれば儲けもの」という精神を思い出してほしいのです。全てを100%委ねるのは違うと思いますが、結果が出なかった時に自分の中にクッションを持っておくのは非常に重要です。
ぜひ、このことを意識して実践してみてください。心が軽くなるはずです。
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