「私なんか…」が、自信を損ねる。
こんにちは。心理カウンセラーのキタダハルキです。『適職発見チャンネル』アップしています。
※今回から文字起こしツールを使用して、それを編集する形でアップする形を採り入れています。
■私なんか…という癖のやめ方。
今回のテーマは…私なんかという癖の止め方、はい。こういうやつですね。
これは自信がないときに、ありがちな癖って…文字通りの感じなんですけど、特に仕事とか何かしらで失敗したとかやっちゃったっていう思う回数が多いと、この傾向がどんどん強まっていくんですね。
これ何が良くないかってやっぱ、ツキが逃げていきがちになるんですよね。
例えばどういうことかっていうと…
仕事をね、任せてみようかみたいな話になったとするじゃないですか。そのときに、この「私なんか」っていうような感じで、何ていうか…待ちの姿勢みたいな感じになっちゃう人と、ぜひって言ってやってくれる人…
どっちの方が任せやすいかって考えるとやっぱ後者だと思うんですよ。うん。
■私が「私なんか…」ってクセをこじらせていた時の話。
そういうのを考えたときに、やっぱ私なんかっていう癖は、ぜひともやっぱやめられる方がいいと思うんです。
私自身も「私なんか…みたいな思考癖」っていうのが結構こじれている状態だったんですよ。
とにかく自信がなくて、仕事を振られたらちょっとピンチに見えてしまうような状態っていう感じだったんですよね。私の苦手な仕事内容だったんで、そういう雰囲気でずっと来てたっていうのは何回か動画でお話してるんですけど…
その結果、仕事に自信がないから「(なるべく)やらない」ってなっちゃったんですよね。要はチャレンジもしないみたいな感じ。
なので、信頼されるわけがなかったんですよね。
でもそれなのに私自身は、評価が上がっていかないというか…評価が低い気がするみたいな感じに気持ちとしてなってたんでちょっと被害者意識が強かったのかなっていうのは感じているところですね。うん。
■このままだと仕事がない。そこで私はこう考え方を変えた。
こうして私は低い評価とか、仕事ができなくてって自責的なフィーリングで抑うつになったわけなんですけど…
会社を辞めてから、さすがにこのやっぱ自信がないっていうような状態でずっとこのままきている…ってなると、もしその例えば仕事が仮に振られたようなことがあったとして、これを何か自信がないんで…みたいな感じでいつまでたっても受けないって話になると、仕事ないじゃないですか。
これじゃさすがに食っていけないっていう風になったんで、何とかちょっと自分自身、変わりたいなっていうように思って。
ちょっと考え方をまず変えてみたところっていうのが…
できるかできないかわからない。この感じの物事であれば実行する、っていう。
要は何か調べたら何とかなるかもしれへんとか、そういうふうに思えるのであれば、とりあえずやるっていう前提ですよね。
この結果、結局会社員時代はやったことがなかったような仕事とかいろいろあったわけですけど、とりあえずある程度は、自分の中ではではありますけど何とかなったっていう感覚があったんで、意外とやっぱやってみるもんなんやなっていうのは、感じてますね。はい。
■一方で、やらない方が自信がつく、ってケースもある。
一方でとりあえずやるっていうのが基本前提っていう話をしたところなんですけど…
やらない方が自信がつくっていうケースも実は存在していて。
パターンとしては相手の要求の受け入れすぎってやつ。これは結構NGだなと私も思っていて。
何でよくないかっていうと、人の要求で仕事をしていって、ウケることもね、当然あるわけですけど…そういうのに味を占めて受ければ受けるほど、相手の要求がエスカレートしがちなんですよ。今度あれやってそれやって、みたいな感じでどんどんどんどん要求が上がっていって…
最初はそういうのでも受けることで、自信がつくっていうのがあるんですけど…自分が決断を全くしない状態でとりあえず受けとこ、みたいなものばかりを重ねていると、だんだんだんだん要求ばかりが高くなってきて今度はプレッシャーになってくるんですよね。うん。
もちろんこのプレッシャーを楽しめる人ってもう、ずっとずっとワーッと右肩上がりに行くんでしょうけど私はそうじゃなかったんですよね。
■人の要求ばかりを受け止めていると、自分が空洞化してしまう。
私はある程度とはいえ成功すればするほどちょっと追い詰められていくような状態にもなってきたんでちょっと仕事がうまくいかなかったときに爆発したことがあって。
それを機にちょっとこれ…人の要求を受けすぎなんやなというふうに思って、ちょっとそれを1回止めてみたんですよ。そしたらちょっと心に平穏が戻ってきたっていうのがあったんです。
グラフみたいなもんを想像してほしいんですが…自分がやりたいとかやれそうとか…そういうのに対して、誰かの要求とかね、求められているというだけの割合がむちゃくちゃ多い状態になってる。これに関してはやらないっていう決断をするのも自信を育てる一つのコツだと思っていますね。
特にその…内心やりたくないなって思ってるものをどんどんどんどん積み上げるってのはどんどん自信をつぶしていってしまうんで、仮にある程度の成功したとしても…その…人に求められてるから自分があるんだ、みたいな形で自分自身の中で自信が育たずに、人からもらった自信しかないみたいな状態になるんですよ。
こうなると、自分の中がどんどん空洞化していっちゃうんで、人が周りからいなくなると怖くなるみたいな状況になるんですよね。
■やらない後悔は正直言って0にはならない。ただ…
前段の内容が、私が最初の段階で話していた会社員時代における何か仕事をそもそもやる気がないっていうのとは一段進んだ段階の話なんですけど、要は言われたことをやってるだけでも実は自信ってつかないっていう話ですね。
ただ、こういう感じでやらないって決断することで、後悔するっていうケースも話としては聞くと思うんです。やる後悔よりやらない後悔の方が大きいよみたいなやつですね。
そういうのは私としてもゼロではないです。正直これはやってもよかったんかもしれへんなとかいうのは振り返ってみればね、あるとは思うんですけど、ただ私自身がやらないっていう決断をするときに、後悔をねできるだけ減らすためにやってた考え方ってのがあって。
それは「やらないということ」を「やった」っていう判断をすること。これが決断としてすごく大事で。
やらないということを自分で実行した。
この決断をすることでやらなかった事に対して自己責任が芽生えてくるんで、自分自身の自信に繋がっていくんですね。自分で決めて、やらないって言ったっていうところですよね。
後悔の話にまた戻っていくんですけど、よくある心理セラピー的なものだと、失敗とかね、あるいはやれなかったことでチャンスを見送ったらちょっとモヤモヤが残っちゃったとかっていうので、これが最善だったんだよ、とか全てはタイミングだよみたいなやつがあると思うんですけど…
これで一応ね、その慰めじゃないけども一定のラインまで落ち着く感じはあるとは思うんですよね。ただそれでもやっぱりやれなかったとかそういう傷ってのは、絶対ゼロにはならないんで…だとしたら、その傷をさらに減らそうって考えるなら、自分自身でコントロールできる範囲にその行動を決めたとかっていう感じで持ってこないと難しくなるんですよね。
つまるところ例えば…何か他の人がどうのこうのとか、あるいは自分の状況が悪くてどうのこうのとかみたいな、いや、自分の体から外にあるところに決まったことの責任を押し付けるようなマインドを持ったままだから、どうしても後悔が消えないんですよ。
なぜなら自分以外のことはコントロールができないからっていう割と妥当なところに結論が落ち着くんですけどね。
■自分自身が決めたこと、というところに落とし込む。
だからこそせめて、その他責の状態で何か決まってしまったな、みたいな感じ…やらないということが決まってしまったな、みたいなニュアンスをどんどん減らしていく、要は自分自身が決めたっていうところに落とし込んでいけるまで突き詰めるっていうのは結構大事かなと私は思っています。
要するにやるもやらないも自分で決めるってのはすごく大事なんですよね。
まずは小さいところからね、例えば今日の食べるご飯…ハンバーガーにするでもよし、何か弁当にするでもよしみたいな感じで、何か仕方なくやるとかじゃなくて、自分で決めるっていうことです。
仕事はね、どうしてもやっぱね仕方ないとかもちょっと出てくると思うんで、まずはその自分自身が決定、必ずできるところそれが多分ご飯とかだと思うんですよね。そういうところから自分で決めていけば、だんだんやっぱ私なんかっていう発想が薄らいでいくと思うんですよね。
まとめていきますと…
まず仕事とかでもやりたいことですよね。やりたいことに対してどういうふうな決断をするかっていうところは…多少レベルが高いと思ったとしても、やったことなかったりとか、その経験がないっていうだけなのであれば、やってみようやっていう感じでやってみたら、思ったよりできるかもしれないよっていうこと。
一方でやりたくないなって思ったりとか、あるいはもうやる以前の問題でもう大きな違和感がもう出てきてしまっているとか、そういう場合はできるかもしれないけどやらないというのも決断の一つだよっていうことです。
こういうふうに自分自身の決断で決めたんだよっていうことを徹底していけば、どんどん自信がついてくると思うんで、ぜひとも考えてみていただければと思います。
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