「人のために」が自分を苦しめる?自己犠牲の罠にハマらない生き方。

抑うつ症対策
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こんにちは。適職発見チャンネルのキタダハルキです。
それでは、今日の内容に入っていきたいと思います。

今日は「人のために生きる」という考え方が、かえって自分を苦しめてしまうこともある、というテーマでお話しします。


中学時代に芽生えた「人のために」の意識

これは私自身の話なのですが、中学ぐらいの頃から「人のために生きなきゃ」という思いを強く持つようになりました。
綺麗な意味だけではなく、「そうしなければいけない」という義務感に近いものでした。

きっかけは、中学2年ぐらいのときの生活の乱れです。
勉強はそこそこやっていたのですが、それ以外の生活面が荒れていて、ケンカなどもありました。実際、1回だけ相手を殴ってしまったこともあり、「このままではいけない」と思い直しました。

そこから「ちゃんとしなきゃ」という気持ちとともに、「人のために」という姿勢を強く意識し始めました。
周囲に気を遣い、波風を立てないように振る舞い、誰かの役に立とうとする。中学3年の間はその姿勢で過ごし、当時の人間関係のトラブルも一応和解できました。


学生時代は通用していた

その後、高校・大学と進む中でも、この「人のために」という姿勢はそれなりにうまくいきました。
もちろんトラブルがまったくなかったわけではありませんが、他でカバーできたり、役に立っている実感を得られたりして、なんとかやれていました。


社会人になってから通用しなくなった

しかし、社会人になってからは全く通用しませんでした。
就職した先は介護業界。正直、就職活動をうまく終わらせるために選んだ業界という面があり、介護については何も知識がありませんでした。

当然、役に立ちようがありません。
同期の多くは専門的に学んできたり、インターンで経験を積んでいたりする中、自分は何もできない。人の役に立ちたい気持ちはあるのに、実際にはできない状況でした。

その結果、自己評価はどんどん下がっていきます。
「役に立っていない」と分かっているのに、他人のフォローをしなきゃ、誰かのために頑張らなきゃという気持ちだけが残り、体調もどんどん悪化していきました。


自分をおろそかにする危うさ

「他人のために」という姿勢は、倫理的には立派です。
しかし、自分を犠牲にした上での立派さは長くは続きません。

私の場合、会社に入って3か月も持たずに限界がきました。
学生時代までの「人の役に立つ」と、社会人になってからの「人の役に立つ」は全く違います。責任が発生する場面では、結果が必要になります。
当時の私は仕事ができるわけでもなく、「役に立つこと」だけが先行していたため、報われることもなく、精神的に追い詰められました。


自己犠牲の中毒性

自己犠牲で周りに認められる経験には、中毒性があります。
私も学生時代、「自分を犠牲にすれば許される」という安心感に依存していました。

しかし、その結果、自分の「やりたいこと」や「どう生きたいか」という軸がなくなり、他人のためばかりに生きるようになってしまいました。
これは非常に危険です。

私の場合は、抑うつ症という形でブレーキがかかり、「人のためばかりで自分を傷つけていた」と気づくことができました。もし怒りとして爆発していたら、職場の状況を考えると危険だったかもしれません。
だからこそ、抑うつ症でブレーキがかかったことは、今では本当に良かったと思っています。


まずは「自分」を優先する

もし今、仕事がうまくいっていなかったり、頑張っているのに裏目に出ていると感じている方がいれば、まずは「自分のことに集中する」ことを意識してほしいです。
人よりも、自分を先に。

  • 自分は何をしたいのか
  • どんな力があるのか
  • 調子が悪いなら、疲れているのか

こういったことに目を向けると、今やるべきことがクリアになってきます。
そしてそれを実行できたとき、初めて他人のことが見えるようになり、健全な関わり方ができるようになります。

順番としても、「自分のことを整えてから人と関わる」ほうが自然です。
これが、私の経験から得た大切な教訓です。

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