チャレンジだから止められるのではなく、話が飛躍してるから止められるのだということ。

仕事のお悩み
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こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。

さて、昨日は選挙でしたが…その情報収集の過程で気づいたことをお話ししてみようかと…。

当人の名誉もありますので名前は差し控えますが…とある候補者さんが目に留まりましてね。ホームページもあって経歴もなかなかおもしろそうだ、と思ってみていたんですよね。

で、経歴のページはわりとウッキウキというか、楽しそうな感じに見えたんですが、肝心の政治の話になると…。正直言って「え?それって政治家にならんでもできることもあるんやない?」って思ってしまった面がありまして。

さらには、政治の話をすると露骨に嫌がられた、という旨の話もそこには記載されていましてね。率直に言って、私は「いや、そらそうやろ…」と思ってしまったんですよね。なんというか、ウッキウキのところから急に政治になったな(しかも楽しそうですらない)、みたいな違和感があったんです。

よく、新しいチャレンジをしようとすると止められる、みたいな言説を目にしますけど、私としてそれは違うと思ってまして。

チャレンジしようとするから止められるんやなくて、話が飛躍していて説得力がないから止められるんやってことだと思うんです。実際問題、第三者から見て「どうして」の部分がわからないものはそら疑問に思われて当然なんですよね。

だからこそ、まず今の地平と地続きのところに「本当に、やれることはないのか」。それを探す習慣はあった方がいいんじゃないか、と思うんですよね。

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