なぜ人間は悪いことをずっと覚えているのか?
こんにちは。適職発見チャンネルのキタダハルキです。それでは今日のテーマに入っていきたいと思います。
今日はですね、ちょっと人間の厄介な性質について話したいと思います。
テーマは「なぜ人間は悪いことをずっと覚えているのか」ということでお話ししていきます。
人間って不思議なもので、いいことよりも悪いことの方をずっと覚えているという方が多いと思うんですね。あの時言われた嫌な一言とか、理不尽な扱いを受けた記憶とか、思い出したくもないのにふとした瞬間に蘇ってくる。その度にもう「忘れたいのに!」ってなるって、まあ、頭ではね、「もういい加減、考えててもしょうがないし、手放そう」っていうふうに分かっていても、心がなかなか言うことを聞かないと。
悪い記憶を手放せないのは「あなたにとって必要」だから
これね、でもちゃんと理由があるんですよね。結論から言うと、まあその、まあ恨みみたいなもんですよね、それってあなたにとって必要だから手放すことができないんです。
はい。ここまで言ってね、「ちょっと納得いかない人もいると思うんですよ。そんなもんいらんわ」と思いますよね。
で、私自身もそのまあ「いらん組」というか、まあいらないと思ってるグループに属していました。ただ、その心を深く掘っていくうちに、「これ、いるもんやったんやな」っていうのは気づいたんですよね。
恨みを握り締めていた過去の自分
あの、私自身がね、会社員時代に経験したこととして、まあ上司からね、罵詈雑言とか、理不尽な指摘とか、人格否定めいたものとかね。まあ結果、心身ともにボロボロになって、まあ病気になって仕事を続けられなくなったっていうことがあったんで、まあ当然「あんな奴許せるか!」って気持ちでいっぱいだったんですよ。
でも後から振り返ってみると、その恨みを握り締めていた自分っていうことには、ある共通点があったんです。それが、恨む自分が正しいと思っていたってことなんです。
「恨む自分=正しい自分」の防衛構図
まあどういうことかというと、あの私の中では「理不尽なことをされたんだから恨んでも当然だ」「体を壊したんだから恨んでも仕方ない」そう思うことで自分を守っていたんですね。
まあその中で、恨む自分イコール正しい自分という構図が出来上がっていたんですよ。まあだからもし誰かに「もう、いい加減許そう、許せば?」なんて言われようものなら、それはまるで自分の正しさを否定されたように感じて、心が猛烈に反発するっていう、まあそういう感じだったんですよね。
この時の私って、その恨みを持っている自分を否定されたくないって気持ちが強くて、むしろその感情を強化している節があったんですね。まあ「いや、俺は間違ってない。悪いのはあっちやっていう」
握り締める状態はストレスを燃やし続けること
これ自体は一見当然だと思うんですよ。まあ、実際も私は今でもその別に元上司のことが好きになったかって言われると、「それはさすがにな」っていうのはやっぱありますよね。
なんですけど、その「俺は間違ってない。悪いのはあっちや」っていうふうに、その思いを握り締めている状態って、ずっとストレスを燃やし続けているようなもんなんですよ。だからまあそれが体にも心にも良くないのは、まあ当然の帰結というか。
結局そういうその恨みというか、「俺は間違ってない。悪いのはあっちや」っていうふうな恨みが、ある意味、その自分自身のことを正しいと思いたいとか、まあそのそういう自分を守りたいという心の防衛機能として機能している節があったんですよね。
根底にあったのは「お前は正しい」と認めて欲しかった気持ち
で、まあ結局じゃあその恨みを強化してまで、その私自身がストレスを抱えながら握り締めていた、その奥底の部分を見てみると、結局本音としては、ただ一言、まあ「お前は正しい」って言って欲しかっただけ、みたいな感じとか。
まあ、例えば、まあそうじゃなくても、まあ例えば「それは辛かったね」とか、そういうふうに認めてもらえてたら、もう少し楽になってたかなと思っていますね。
で、そういうふうに言ってくれなかったから、あの、まあカウンセリングとかに行くまで、結局心身の状態は悪化して、自分で、まあ恨みという形で、まあ握り締めてる時間が、まあ長かったということですね。
で、まあもちろんその精神科に行ってカウンセリング受けた過程では、「それは大変でしたね」って言ってもらえたんで、その時点でとりあえずやっぱ一応手放すような形にはなったんですけど。それでもやっぱその握り締めてる期間が長いんで、そういう自分を正しいと思っているって状態を手放すには、やっぱり時間がかかったということですね。
恨みを「受容」することで執着が離れる
で、まあその恨みという形でたが握り締めているっていうことに自分が気づいた時に、楽になったんですよね。あの、「わあ、そういうものを握り締めて楽になろうとしてたんだ」っていうことに気づいたから楽になったという意味ですね。
あの、恨んでる自分も、まあ「それでいいやん」とか、「恨むほどのことがあったんです。それは当然や」っていうふうに自分自身に許可を出した瞬間に、あの、「いや、それに執着しなくなった」というか、その「恨んでいることが当然だ、正しい」ということに執着しなくなったってことです。
で、まあ「手放そう」「忘れよう」とかじゃなくて、「そんな気持ちも自分の一部だ」って受け入れたことで、結果的にそういう執着みたいなものが離れていったという感覚です。
感情を否定すると、かえって強くなる
あの人間って、その自分の中から出てきた感情を「こんなの持っていちゃいけない」というふうに否定すると、まあ逆にその強くなっていってしまうんですよね。
私自身もその、なんか「あの恨んでいる自分が恥ずかしい」という気持ちもやっぱあったんですよ。その「いつまでも過去にこだわって」みたいなことを思っている自分もいるし、でも「過去だからといってその気持ちを投げ捨てさせるんか」みたいな気持ちとずっと喧嘩している状態。
まあだからまあやっぱりその自分自身の調子自体が抑鬱状態から回復してからも、こう一歩回復しきっていない部分がなんか残ってるような感じは確かにあったんですよね。まあそれがまあ、あの自分の感情を否定しないという方向性にシフトしてからは、あの意識しなくなって、こううまく回り出したというような感覚ですね。
ブーメランのように自分に返ってくる感情
まあ要するに、そのどんな感情も結局自分から出てきたものには違いないんですよね。恨みがましい気持ちだろうが、もう自分の中から出てきたものなんですよ。誰かに植え付けられて恨むように言われたとかでもなく、自分が「いやいや」と思ったってそれだけのことなので。それを自分自身が強く否定してしまうと、なかなかその行き場がなくなるんですよね。
その行き場がなくなって、その誰かが受け取ってくれるわけでもないから、やっぱり自分に戻ってきちゃうんですよ。だからそれを怒りとか恨みとか悲しみとか、それありとあらゆるものに当てはまるんですけど、それを否定するとやっぱダメなんですよね。
あの、いや、否定したところで誰かが受け取ってくれるわけじゃないんで、ブーメランみたいに帰ってきちゃって。だから「そう感じてる自分もいるんやな」っていうことで認めてあげれば、心が落ち着いていくってリズムに入っていくんですね。
まとめ:恨みを手放すためにまずすべきこと
ですのでね、そのまとめに入っていくんですけども、もし今ね、その会社員とかやってて、まあその自分自身がまた例えば上司とか、あの色々その人の、まあ恨みとか怒りとかっていうのをずっと抱えているっていう状態になって、「まあ苦しい」とかっていうふうに思うのであれば、まずは**「その気持ち持っててもいいよ」っていうところを自分に許可を出してみてほしい**んですね。
力ずくで忘れようとせず「受容が先」
あの、まずここからですね。それを否定してしまうと、その形はどっかで暴発してしまったりとかすると思うので。まずその、「そんなふうに感じてる自分がいるね」っていうことを、まずその自分が認める。人に認めさせるんじゃない。ここがすごく大事。人に認めさせるんじゃなくて、自分がまず認めるってこと。それを繰り返していくだけでも、だんだん心が緩んでくると思うんですね。
「手放そう」とか「忘れよう」とか力づくでやるんじゃなくて、まず**「受容が先」**ってこと。これを意識してほしいですね。
で、それがまあ完了したときというか、まあ自分で納得できた時に、本当の意味でその手放しっていうのが始まると思いますんでね。ぜひ一度ね、ふと今回のこと考えていただけたらと思います。



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