対人恐怖症は、こう考えると軽くなります。

silver dynamic microphone on black microphone stand 性格・持ち味を活かす
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私は今も、対人恐怖症です。

こんばんは。心理カウンセラーのキタダハルキです。「適職発見チャンネル」アップしました。

※今回の話は私の体感と主観が多めになります。そこはご了承のうえでお読みいただけたらと思います。

私も、正直言うと「対人恐怖症寄り」だと思います。人見知りも結構すごいんです。たとえば、1対大勢みたいな感じになって話に入っていくのとか、まぁ、無理です笑。そんな感じなので、たいして話をせずに終わってしまうことも珍しくないんです。

■対人恐怖も、悪いことばかりではない。

ただ、この体質が「悪いことばかりか」と言われたら、そうではないと私は感じていて。

では、具体的に「なにがいいの?」って話になるんですが…

それは、縁が広がり過ぎないこと、だと私は考えています。

縁って、広げた方がいいんじゃないの?と思う方がおそらく大半かと思うんですが…起業をして実感したこととして…うっすい縁が、意外と足を引っ張るケースも珍しくないんですよね。ここでいう薄い縁とは、異業種交流会とかで名刺を交換しただけの方、とか、特定の看板を掲げてようやく繋がれるような方、とか、そういう「決して仲良くはない」方のことを指します。

■どこに地雷があるかなんて、正直わからない。

で、こういう人とは正直言って、話せなくていいと私は考えています。

なんで話せなくていいか、ってことなんですが…たとえば、さっきの「看板」の例が分かりやすいと思います。この「同門ですよ」タイプの縁って、その同門の方向性やらが気に入らなくなったときにものすごく試されるんです。要は、気に入らんってことあったとして、それを言ってもいいのかどうかってことですね。

ただこういうことを強く意識してしまうと、アレもこれもなにもかも言っちゃいけない、ってなってしまって、話せないんですよね。こういうのが、対人恐怖症気味を呼び起こすというか。ただ、こういうシチュエーション自体は珍しくないんですよね。共通の話題の波に乗れない、みたいなことなんて、十二分にあるわけです。

…つまるところ、対人恐怖症気味になること自体って、別にめずらしくないんじゃないの?って私は思うんです。世の中、どこに会話の地雷があるかなんてほんと、わかんないんですよね。

■怖がるというより、合ってないということを認めれば気楽になる。

ただ、この対人恐怖症気味のところが「当たり前」なんじゃないか、って思うようになってから、少し気が楽になったんですよね。

地雷を踏んでしまったこともありましたが、あぁ、この方はここが気に入らないのね、みたいにね。ただ、これはあくまで「この方」の話や。という風に切り替えるようにしたんです。そしたら少し冷静な視点が浮かんできました。

どういうのかというと、話すことに恐怖を抱くような相手って、そもそも合ってないから恐怖を抱くわけで、別に「単に、相手と距離感がある」ということを受け入れればいいだけなのでは?と思ったんです。そこに善悪をつけずにね。そうすれば、相手とかみ合わなかったとしても、あぁ、この人は自分とは違うんやな、で終われるわけ。そういう人と深い関係まで進んでいくことって、まー、ないです。

もちろん、ないがしろにしろって意味ではないけれども、嫌われることを大きく気にしなくていいじゃん、ってところ。そして、嫌われるってことを割り引いて考えることができれば、その恐怖感が減って対人恐怖症気味の状態も減っていくと思うんですよね。

要は「人が怖い!⇒この人とは合わないね、と素直に認める」って感じ。こうすれば、人に感情のコントロールをされる感覚から、気持ちの主導権を自分に取り戻すって感覚に戻していけると思います。

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