空気を読み続けて疲れた人へ。「わがまま」に生きた方がうまくいきます。

性格・持ち味を活かす
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こんにちは。適職発見チャンネルのキタダハルキです。

それでは今日のテーマに入っていきたいと思います。 「人に迷惑をかけちゃいけない、もっと空気を読まなきゃと自分を抑えて生きていませんか?」という、今日はちょっと問いかけ風のテーマでお送りします。

結論から先に言うと、実はわがままに生きたほうが人生はうまくいくし、結果的に物事も長続きする。こういう風に私は思っているんですけども、今日はその理由をお話ししたいと思います。

この動画(記事)を最後まで見ていただきますと、なぜわがままが最高の継続スキルになるのかということと、あとはわがままと近い位置にある「ただの迷惑な人」で終わらないための決定的な違いがわかる内容になっています。ぜひ最後まで見ていただけたらと思います。

他人の正解の限界:なぜ「わがまま」だと物事が続くのか

まず本論に入りますけども、なぜわがままだと物事が続くのかというところからお話しします。

一番の大きな理由として、わがままというのは、ある意味「自分自身が持っている正解」というか、自分自身が良しとしているところ、強く願っているところという話になると思います。

これと全く反対のところにあるものというのが「他人の正解」なんですよね。

たまたま他人の正解が自分自身の正解とも重なっている、このパターンの時は気持ちが割と持つんですけど、他人の正解って大体というか、ほぼほぼ100%に近い確率でどこかずれているということがほとんどなんですよね。

結局ずれているんで、最終的にはエネルギー切れを起こして「急にやりたくなくなった」とか、そういうことが起きやすいんです。

人に合わせたり、常識とか他人の正解(これは常識とも言い換えられるんですけど)というのは、やりたいことじゃなくて「やるべきこと」だったりするんですよ。だからモチベーションが続きにくいんですよね。

「やるべきことだ」って思って頑張れるのって、その場をしのがなきゃいけないから「とりあえず言われたルール守っとこう」みたいな感じだったらしのげると思うんですけど、それがずっと続くとなってくると、よほど自分自身の思っていることとその環境がマッチしていない限りは、なかなか気持ちが続いていかないんですよね。

一方でわがままというのは、「純粋な主体的な動機」とも言い換えられると思うんですけど、これって自分自身からエネルギーが湧いてきている状態なんですね。

要するに、自分がこうしたいからやるっていう形は、誰かに頼まれたりというエネルギーを必要としていないんですよ。だからエネルギーが枯れにくいんですよね。

詰まるところ、自分の内側から湧き出る欲求になるんで、途中に障害が現れたとしても、自分自身がやりたいと思っているから「何とかしよう」と思いやすいんです。

これも、先ほどの他人の正解と比較しますけど、他人が正解って言ったところに障害が現れたら、嫌な気持ちになるんですよね。「お前、正解って言ったやんけー」みたいな感じでやる気が下がったりとか。

あるいは、自分自身が人の言うことを聞いているという状態で動いているんで、なかなか主体性が出てこなくて解決策が思い浮かばず、結局後ろに引き返すような形になっちゃうという、そういうパターンでなかなか物事が続けられないとなってしまうんですね。

自己中との違い:うまくいく「わがまま」の境界線

で、ここで疑問として浮かんでくることとして、「でもそれってただの自己中じゃないの?」みたいなこともあると思うんですよね。

じゃあ、わがままと自己中というのはどこに境界線があるかっていうと、うまくいくわがままのパターンというのは、「自分の思い通りにやるよ」というところがあって、だけどその結果、どういう結果……まあ良い結果・悪い結果あると思うんですけど、悪い結果になってしまった時にも「自分自身が責任を取るよ」ということです。

責任を取るというのは、起きたことを自分自身が何とかするために、主体的に動くよっていうことなんです。

これが「悪いわがまま」になると、悪いことが起きたってなった時に「後のことは知りません」みたいになる人がいるんですね。

もしくは、「後は知りません」の方が気持ちちょっとマシかもしれないっていうところがあって、人のせいにする人がいるんですよね。

こういう時に「それは状況のせい」とか、特定の人のせいにして「その人が悪い」「うまくいかないのはお前が悪い、自分はやりたいことをやっている」みたいな話になると、それは周囲から支持されませんよねってなるんです。

それをやめればいいだけなんですよね。

「自分が決めたことは失敗しても自分のせいだ」という、こういう自己責任というのはすごく大事だと思っています。

なんか自己責任論みたいなのが、ちょっと変な形で広がっていっているような気がするんですけど、自分自身で自分自身のやり方・生き方の責任を取ろうというか、舵を取ろうというふうに思うこと自体は、むしろ自分自身の人生を気持ちよく生きていくために必ず必要になってくると思っています。

責任が信頼を生む:なぜ人間関係が円滑になるのか

特に、自分で決めたんだから失敗しても自分のせいやって思えている人って、他人を責めない癖もちゃんとついているんですよね。

だから「俺が何とかするから」とか「自分自身でとりあえずやってみるわ」という風に言って動いてくれる形になるんで、人間関係は円滑になりやすいんですよ。

周囲からも「この人やったら、やたらと責められたりもしないから一緒に頑張ってみようか」とか、そういうふうに思ってもらいやすい。あと、応援もしてもらいやすいですよね。

応援したら「応援した人のせい」にしてくるのが頭をよぎると、この人応援しにくいなってなるんですよ。

なので、責任を取るというのは、自分の行動のツケを自分で支払うという潔さですよね。そういうのがあるからこそ、周囲も「あの人はそういうふうに考えている人やしね」というので、認めざるを得なくなるところが出てくるんですよ。

これが、良い意味で「認めざるを得ない(言ったことをやってるしね)」という、そういうことですよね。

私自身も、過去に「こうあるべき」とかいうので、結局「就職をするべき」っていうところが、やっぱり根っこにはあったんだろうなと思っています。

仕方がないとは思うんですけど、それ自体は義務教育上がって高校行って大学行ってという風にさせてもらっている中で、ある程度社会で無難にやっていけるようにっていう風なルートに入ろうとするのは、別に自然なことだと思うんで、ここまでは全然あっていいと思うんです。

ただ、自分自身が結局苦しくなったとか、あるいは病気になったというような形があった以上、やっぱりそのまま苦しんだままいるというのは、やっぱりちょっと違うと思うんですよね。

結果的に、会社員時代が9ヶ月止まりだったものが、カウンセラーの仕事を選んでから10年以上、なんならコロナがきっかけでこのYouTubeを始めたんですけど、そのYouTube自体も結局5年以上続いているので、要は「わがままだったら結局何もかもポイポイポイしてしまっている」なんてことはないですよ、というのは私自身の経験からも思っていることですね。

自分のハンドルは自分で握る:小さな一歩からの始め方

まとめに入っていくんですけど、わがままに生きるというのは、不真面目にやるってことじゃないんですよ。

やっぱり自分自身が思ったことをやるという以上は、自分自身の行動で起きたことに関しては向き合って対処していくという必要が、それこそ、人に言われたことをやっている方よりも強めに出てくると思います。

だけど、自分自身がやる気になってやっていることだったら、乗り越えられる可能性も高いんですよね。

なかなか乗り越えるのが難しいときは、そのときは頭を下げるというのも、もちろんこれも責任の取り方の一つになっていくので、そういうことをするということ。

自分自身が思ったことであれば、自分自身のハンドルを自分が握るという決意もできると思うので、責任を全うできる生き方というのは、やっぱり人から見ても「この人なんだかんだで自分自身でやれてるんやな」という風に見てもらえて、それが信頼につながっていくと思います。

ぜひ一度、まずは小さなことからでいいんで、自分自身はこれがやってみたいんやとか、そういうことを優先してみるというのを試してみてください。

別に私みたいに「会社を辞めて」というリスクをいきなり取る必要は全くないので。

まあ、その辺のコンビニとかで売っているもので「これ食べてみたいな」とか、そんなのでもいいんで、ぜひ一度ね、小さい行動からでいいんでやってみていただけたら、自分で責任を取るということを自覚していけるようになると思いますので、ぜひ一度試していただけたらと思います。

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